泉質主義 草津の歴史は、温泉にきいてください
"草津よいとこ、一度はおいで"と歌われ、全国にその名を知られる草津温泉。
けれどもその歴史となると、意外にご存知ない方が多いのではないでしょうか。
温泉への熱いこだわりから生まれた「泉質主義」、3回目のテーマは、草津の歴史。
今日もこんこんと涌き続けるいい湯が、草津の歴史の証人です。 歴史浪漫にひたりながらの温泉は、また格別ですよ。

飾り

 

草津温泉昔の絵
草津温泉は、何年生まれ?
白根山・本白根山という活火山に抱かれた草津温泉。その開湯についての伝説は実にさまざまで、今から1800年余も昔の日本武尊発見説や奈良時代の高僧、行基発見説が伝えられています。鎌倉時代、鹿狩りに訪れた源頼朝が入浴した事も有名です。この様に歴史上の大人物の発見とされるのは、太古の昔から、草津温泉の泉質がそれだけ有名であったという事の証なのではないでしょうか。
 

 

 

入浴法にも歴史があります。
古くから行われていた草津独特の入浴法として有名な"湯もみ"。泉質を変えずに湯の温度を下げるための"湯もみ"は、当時、入浴者自ら行い、高温浴の前の準備運動を兼ねていました。"時間湯"は、明治の初めの頃に温泉療法として完成。入浴法を指導する湯長の号令のもと、1日4回、3分ずつ区切って入浴。非常に高温かつ酸性の強い、草津ならではの泉質を活かした温泉療法は、貴重な温泉文化として、今に受け継がれています。
時間湯の写真
歴史の陰に、草津のいい湯あり。

 

 

草津が、世界と出あった日。

草津温泉に伝わる物語で特にユニークなのは"信玄のかくし湯"。室町の武将・武田信玄が、各地から湯治に来た武人たちの混雑を収めるため、入湯禁止の下知状を出した事件です。また八代将軍・徳川吉宗も、草津の湯を江戸城に運ばせて入浴したと言われ、湯畑の中には八代将軍御汲上げの湯枠が残っています。草津のすぐれた泉質は、江戸時代には庶民にもひろく親しまれ『草津千軒江戸構え』と言われるほどの温泉集落ができ、連日当時の江戸の様なにぎわいをみせました。
※様々な地方の武士等が来草し、治安が悪化した為、下知状を出したと言われています。

 

明治11年8月、日本政府の招きで来日したドイツ人医師・ベルツ博士がはじめて草津を訪れました。ヨーロッパにはない独特の泉質や効能、入浴法に興味を持った博士は、その有効性をドイツ医学会に発表し、「こんな土地が、もしヨーロッパにあったとしたら、カルルスバード(現カルロビ・ヴァリ市)よりもにぎわうことだろう」と絶賛し、世界に紹介しました。明治38年に帰国するまで、草津を理想の温泉郷とすべく尽力したベルツ博士は、今もなお町民の敬愛を集めています。

ベルツ博士の銅像
インターナショナルリゾートという、新しい顔。
草津は温泉の質・気候・自然のすべてに恵まれた高原リゾート。ベルツ博士が第2の故郷として草津を愛した理由も、まさにそこでした。草津は、昭和37年に博士のふるさとであるドイツのビーティヒハイム・ビッシンゲン市と姉妹都市を結んだのを初めとして、同じ経度に位置する山岳リゾート地のオーストラリアのスノーイ・リバー村、雪質や自然がよく似たオーストリアのノイシュティフト村、スパリゾートで高名なチェコのカルロビ・ヴァリ市と姉妹都市として手を結び、世界のスパリゾートとして新たな歴史を歩み始めています。

 



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