泉質主義 名湯の引力。草津を彩る著名人。
テレビドラマで、武将がお風呂に入るシーンをよく見かけませんか。昔から、日本人はお風呂が好きだったのです。
それもあって、全国の温泉地は繁栄を重ねてきました。草津ももちろん例外ではなく、また、多くの著名人にも愛されてきました。
湯畑をぐるりと囲む石柵に刻まれている、草津を訪れた、もしくは訪れたといわれる百人の名を見れば、それは一目瞭然です。
人は今も昔も名湯を目指すのです。そこで今回のテーマは、ズバリ「人物」。草津ならではの、効能や風土が育んできた歴史と交流。
温泉への熱いこだわりから生まれた「泉質主義」を語る上で、欠かすことのできないテーマです。

飾り

イメージ

 

小林一茶
旅に生きた江戸時代の俳人一茶。友人が草津で旅籠を営んでいたこともあり、一茶は何度か当地を訪ねています。また、紀行文「草津道の記」を記していることからも、草津との縁深さをうかがい知るこ肖像画とができます。その中の一句、「湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌(かお)」は光泉寺・階段下に石碑となっています。生活派の俳人として歴史に名を刻んだ一茶。彼の生活の一部には、草津の湯がしっかりと刻まれています。

 

志賀直哉
近代日本文学の傑作「暗夜行路」の後半部分は草津で執筆されました。なぜ草津だったのでしょう。思い描いたストーリー等の完成度を高めるための第三者的な場所が必要だったのでしょうか。いずれにしても、感性をとぎ澄まし、気持ちを集中す肖像画るための地であり、湯であったはずです。また、当地を題材とした「草津温泉」では、農夫と間違えられたエピソードなどが綴られています。小説の神様と称される彼の創作意欲を節目節目で支えていたのは、草津の泉質や情緒だったのかもしれません。

源頼朝
肖像画建久4年西暦1193年、鎌倉幕府が開かれた翌年、源頼朝が浅間山麓での狩りの途中に草津温泉を訪れたと言われています。ゆかりの場所は湯畑西側の"白旗の湯"。源氏の象徴、白旗から採ったものです。幕府の力を知らしめるために東国各地で狩りを行った頼朝。効能を基準とした江戸時代の温泉番付で、当時の最高位であった東の大関として名を馳せた草津の湯。将軍と大関、トップに君臨するものとしての縁を感じずにはいられません。

 

ベルツ博士
肖像画"世界無比の高原温泉"と草津を評した、ドイツ人医師のベルツ博士。東京医学校(後の東京大学医学部)教授として政府に招かれ、明治天皇の御典医も務めたベルツ氏は、近代医学の観点から、草津独特の強酸性泉質や時間湯という入浴法に着目し、同時に立地や環境の素晴らしさも内外に広め、地域の発展に大きく貢献しました。現在、彼の偉業等は「ベルツ記念館」で展示されています。また、名を冠した「ベルツ温泉センター」は日帰り入浴施設として賑わっています

 

岡本太郎
肖像画 湯畑を「白旗の湯」側から見下ろすと、なかなか凝った様式になっていることに気が付きます。ひょうたん型に仕切られた湯畑と、その周辺の"遊歩といこいの場"は、「芸術は爆発だ」の名言でも有名な岡本太郎氏が、全体デザインを監修したものなのです。これは温泉とスキーを楽しみに、草津に足しげく通っていた岡本氏が、都市計画の依頼を受け実現したもの。草津を愛していたからこそ、快く引き受け協力してくれたのです。名湯が育んだアートとの縁。草津の湯には、人と人とを結ぶ効能もあるようです。

 



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